2007/06/29
車は本日出発!
2泊三日でつくものの、名瀬港(奄美一の港)に帰航するのが少ないから。
有明のフェリー乗り場は竹芝と偉く違い、プロ用?なのか標識もろくに出ていない
カーナビでフェリー乗り場であることは確認できるが、受付が見当たらない。
エイリアンで出てくるようなコンテナー搬送のトラックがガンガン走っているなか、ぐるぐる船着場を回ってても倉庫はあるが受付らしき建物がない。
荷物搬送をしている人たちに聞いてやっと受付にたどり着いた。
奄美では驚かないが、東京のお台場近くでこの装備。
伝票を書いて、お金を払って、領収書をもらって、車を一時保管場所に置いて、鍵を渡しておしまい。
しかし、帰りはどうしたものか?
バスも電車も回りには走っていない。
受付の人に聞いたら、ゆりかもめの国際展示場が最寄り駅だとか。
奄美だと驚かないけど、ここは東京のど真ん中。
でも、殺風景な倉庫と空き地しかない。
炎天下のなかをとぼとぼ15分くらい歩いて駅に到着。
東海フェリーと奄美/沖縄航路はえらく違うもんだ。。。
送別会
主治医の先生には「おなかの中が落ち着くまで暴食はダメ」としか言われていない=お酒はOKと解釈している。
昨晩は25年来の友人たちと20代を飲みまくったお店で飲みまくった。
実はこの友人たち、学校も職場も同じになったことがない友人が大半。
きっかけは25年前に卒業旅行でたまたま一緒にヨーロッパに行ったこと。
アテネ、イスタンブール、カイロ、ローマ、パリ、ロンドン、フランクフルトを回ってきた。
最初の3か所があまりに文化圏が違ったためか、妙に結束力ができた。
その後、みんなそれぞれの道を進んで、すごい久し振りに集合。
おじさん、おばさんになってもこういう付き合いがあるのって楽しい。
2007/06/27
術後健診
主治医の先生「調子はどうですか?」
私「多少痛みがありますけど。。。」
「そりゃぁ、8日に手術したんだから多少はありますよ」
で、傷口等を確認後に、
「順調ですねぇ。環境のいいところにこれから行くんだから、すぐ良くなりますよ。」
「泳いでもいいんですか?」
「東京湾だったらダメっていうけど、がんがん泳いでいいです。そういえば、こないだテレビで奄美をやってましたよ。」
「9人家族の移住日記ですよね。」(奄美に行くと言ってから、結構回りで話題になるテレビ番組。大和村(やまとそん)に東北から移住した大家族の話です)
「そうそう。奄美移住なんてホント羨ましいですよ。」
「じゃぁ、先生も遊びに来てくださいね。」
「いや、遊びじゃなくてやっぱ住むのがべすとでしょう。」
ということで、回復の早さが確認されたあとは奄美話で終始した検診でした。
順調なのがなによりです。H先生、ありがとうございました!
2007/06/26
荷造り第1段
7/6に引き渡しと家電搬入でまず島に行き、
7/14に今のマンションから荷物の搬出、
7/15に島に行くけど、家財が到着するのは1週間後。
さらに、今のマンションの引き渡しで、月末に再び東京に戻ってくる。
で、木曜日に車が一足先に有明埠頭から奄美に行く。
引き渡しから数日は奄美にいる、かつ家財到着までの1週間に必要な荷物をすべて車に乗っけた。
バックミラーが見えなくなるくらいの荷物だぁ。
2007/06/24
概ね完成!
2007/06/22
ピクチャーレールがあっても
居間、吹き抜けの階段、寝室。。。
この間、姉と現地確認に行った時のこと。
姉「この居間のその壁にあの絵を掛けるの?」
この居間とは吹き抜け5mの高さがある居間、
その壁とは2階部分に当たる2.5m以上の部分
あの絵とは、幅2m以上ある絵のことである。
私「うん、そのつもり。カッコいいでしょ。2階の渡り廊下からも居間からも見れるんだよね。」
姉「ふーん、でも、誰がどうやって天井近くにあるピクチャーレールに絵を引っ掛けるわけ?」
私「・・・」
絵を掛けようと思ったら、5mの脚立が2つ必要。
絵は重くないけど、一人で支えられる大きさじゃない。
引越担当の日通は現地は委託だから、「荷物は指定のところに置くくらいと思ってください」と言われてる。
同様のことは階段にも当てはまる。
レールは階段の左右につけたんだが、ピクチャーレールは2階の天井高。
うーっ!最後の段取りまでは考えてなかった!!
2007/06/21
国民年金手続き
「会社を辞めたので、国民年金に加入したいんですけど。」
「では、このフォームを記入してください。」
記入後、
「手続きに1ヶ月くらいかかります。」
「へ?1ヶ月後には転居するんですが?」
「どこへですか?世田谷区内だったらいいんですけど。」
「鹿児島県なんですが」
(しばらく絶句状態)
「だったら、転居後に手続きした方がいいですよ。
引き継ぎ手続きがうまくいかない可能性もあるんですよ。
一度に保険料とかの支払いが発生するけど、今は確実な方がいいでしょ?」
おーっ!やっぱ、社会保険庁だ。
行政のお仕事は遅い、不親切だけど、確実ってのはもはや神話だね。
2007/06/19
電話
島暮らしにネットとIP電話は不可欠。
でも、やっぱり「光」は通じておらず。
奄美一の名瀬市だったらあるんだけどね。
名瀬市以外は東京より5年遅れぐらいのインフラかも。
24メガ回線になる。今は光だから、どのくらい遅く感じるんだろう。。。
今度は衛星TV確保だ!
集落ではなくて、新たに造成された地区に引っ越すので、放送状態は極めて悪いらしい。
地上波に移行するのがわかってて、数世帯でアナログ放送確保のための線を引っ張る気もしないから、スカパーとTSUTAYAディスカスは必須。
集中豪雨の最中はやることが限られちゃうからね。
ちなみに奄美には、
TSUTAYAも
ダイエーも
ベスト電器、山田電機もあります。
2007/06/18
退院後のアクシデント
指輪は手術前に麻酔医の先生に言われて外した。
「何が何でも外してくださいね。」
「わかっていますが、奈何せん外れるかどうか。。。(結婚当時に細い指は今はもうない。。。)」
「外していただかないと、指輪を切らないといけなくなりますから。」
でもって、必死に石鹸を使ってごしごし。術前に外すことに成功。
さっさと病室内のセーフティボックスに突っ込んだ。その後はさっぱり指輪のことを忘れてた。
で、今日、引っ越しのためのジュエリーの整理をしていたところ、ふと「あれ、指輪ってどうしたんだっけ???」
そーだ、ボックスにむき身で入れたままだった。。。
病棟に連絡して、あることを確認してもらった。
再び病院へ(と言っても徒歩だけど)。
インターン先生にエレベータホールで偶然再会。
「え、何かあったんですか?具合が悪くなったんですか?(*_*);」
彼は私が再入院したと一時錯覚したらしい。
「結婚指輪を忘れちゃったんだよねぇ。」
「そうですよね、そんなに元気なんだからもう大丈夫ですよね??」(心からほっ)
ナースステーションで指輪をもらって、元病室へお見舞いへ。
既に騒がし仲間二人は退院済み。すっごく静かだった。。。
病棟は本来の姿を取り戻したようだった。
2007/06/17
退院(続き)
記念撮影後に、
インターン君が「何時に退院なんですか?」
私「荷物運び(入院も10日になるとそれなりに荷物あり)の亭主が来るのを待ってる」
「そーですよね。しばらくは元気溌剌でもつらいふりしてないといけませんよねぇ。」
と言っているところに亭主登場。
「ふんじゃ、退院しま~す。」 と入院友達、看護師さんたち(本日は日曜日のため
一番お礼を言わなきゃいけない主治医の先生はお休み)にお別れしながら、
インターン君が荷物をエレベータホールまで運んでくれた(最後まで何もしようとしない亭主でした)。
インターン先生、ありがとうね。
「東京を離れる前にリスクは排除するぞぉ」と思い、さっさと手術を決めてしまいましたが、
本当に結果オーライって感じです。
国立病院機構東京医療センター産婦人科の皆様、大変お世話になりました!
退院
まくら投げこそしなかったものの、女ってホントに怖い。幾つになっても騒げるからね。
さらに、自分が元気になると、他の部屋の皆さんの体調にお構いなしに騒ぎまくってたかも。。。(事実、ナースステーションに聞こえるくらい煩かった)。
看護婦さん、最後までごめんなさいね。
実は私たちの部屋は同じ日に手術をした患者3人がいたので、回復状況をお互い毎日話していた。
で、術後すぐは私が一番回復が遅く(何といっても絶食4日、流動食1日)、咳ばかりしていて
みんなに散々心配してもらいました。
が、誰よりも早く退院となりました。まったく、げんきんな性格は体調にも反映されるのかな?
で、今朝無事に退院となりました。
朝起きて、寝巻じゃなくて、Tシャツ短パンを着ると、あれ不思議。結構、気分は健常状態。
インターン君が最後の問診に来た。
「辛いところはありませんか?」といつものように言おうとしていたが、
こちらがもう元気いっぱいの顔をしていたので言葉にかなり窮していた(フレッシュマンと見るとからかいたくなる悪い性格炸裂)。
記念撮影をして(ここは病室なんだけど)、
「何時に退院なんですか?」
2007/06/16
退院前日
主治医の先生が最後の診察。
「問題ないですね。組織も良性だったし。後は奄美の病院でも大丈夫。ただし、右の卵巣摘出で左が残っているのは、忘れないで。」
「…」
「いざっていう時に結構忘れちゃうとたいへんなんです。調べられるけど、お金もかかっちゃうしね。」
先生、いろいろ気遣ってくれてありがとうございました。
後はしばらく様子を見ながら、引っ越し準備だぁ。
腹帯はしばらくしてないといけないんだって。お腹に力入んないからね。
でも、只でさえデブってて、術後も痩せなかったのに、腹帯して着れる服なんて無いよぉ。
困った、困った…
2007/06/15
手術後7日目
お腹の切った部分はまるでファスナーのようにホチキスどめされていたのです。そのホチキスがなくなりました。
私「(インターンくん)先生が抜鈎するんだよね?抜鈎って痛いの?」
「そうです。大丈夫です、痛くないように頑張ります。」
インターンくんがベテラン先生に見守られながら(=監視?)、外していきました。
すっごく緊張しているのがよくわかりました。
痛くなかったよと言うと、インターンくんの顔は笑顔で崩れていきました。早くいいお医者さんになってください。
採血と組織検査の結果をみた担当医の先生が、「もう大丈夫だから日曜日に退院しちゃいましょう。空咳も奄美に行けば治っちゃうでしょ?」
やったぁ、1日予定より早い退院だぁ。
「先生、ということは、もう何してもいいってことですかぁ?
「基本的にはね。でも、何でも腹八分だからね。」
退院ごはんを何にしようか考えてるのがバレた?
2007/06/14
手術後6日目
で、怖いことしてみた。
体重測定…
入院時に強制測定されたが、その時は壮行会と称する度重なる飲み会を経てなので
既にプラス2kg状態。
その後、子宮摘出。
唯一の目撃者である旦那曰く「ラグビーボール大」
4日の絶食、2日の流動食を経て、
本日、自主測定結果は
マイナス2kg…。
つまり、体重減はなかった!
そんなぁ!
2007/06/13
手術後5日目
空咳は全身麻酔挿入後の後遺症と私がもともと持ってる過敏症のせい。
あと数日の我慢。
三部粥+流動食のごはんも飽きてきた。
でも、お医者さんたちはまだ私の腸が信じられないらしい。
笑顔で「今日何もなかったら、ラキソベロン液を試してみましょう!」と私をトイレ通いさせた薬の名前を担当医が口していた。(^_^;)
そう、そう。食事制限は入院予告を周囲の人々にするときに合わせて伝える必須事項だとつくづく認識した。
普段の飲み会でもいつも参加が危うい、超多忙の某外資系コンサルティング会社社長の原田君が絶食期間中にお見舞いに来てくれた、それもセレブブランドのプリンを持参で。
原田君「えっー、食べれないの?」
私「せっかく持って来てくれたんだから、原田君だけでも食べてってよ。」
「じゃあ、看護師さんにあげようよ!」
「(人が持って来てのに)数が少ないから喧嘩になる。ダメ。」
原田君は周囲を女に囲まれ(ここは産婦人科病棟)、私の涎を垂らす寸前の視線を浴びて(絶食期間中)無理やりプリンを食べさせられて帰って行きました。
可哀想(;_;)な原田君でした。
お腹のホチキスは土曜日に外れる予定です。
2007/06/12
手術後4日目
咳止め、トローチ、痛みどめを処方された。
なかなか流動食/点滴を卒業させないこととい、私の担当医は真面目、熱心、かなり慎重みたい。
同室類似手術の患者さんたちも多少咳が出始めたが、「ま、麻酔の後遺症だから」で済まされてた。
同じ病院でも担当医が違うと、こーも対応も違うのか!という1場面でした。
牛乳、具無し味噌汁、一粒の米も見当たらない重湯、他汁ものの朝ごはん後に抜糸した。
インターンくんは担当医先生にハサミの持ち方を指導されてた。
思わず徒弟関係の厳しい大学病院には研修医が集まらずに国立機関に教育の場が移ったという記事を思いだした。
そもそも、私が今手術しているのも、少子化による離島医療施設が古い/産婦人科医師不足が原因だもんね。
生理時の大量出血で輸血リスクがあり、かつ緊急手術に対応できる婦人科医師と設備がその時に保証できないから手術することにした。
入院してよくわかったけど、産婦人科は本当にたいへん。
赤ちゃんは365日24時間、時を選ばず生まれるし調子も崩す。
内科治療の癌患者もいれば私のような外科患者もいる。
先生も看護師さんも気持ちが入ってなきゃやってられないんじゃないかなぁ。
インターンくん、頑張って!と心から思える1日の始まりでした。
ちなみに、その後の食料事情は味無し三部粥、ヨーグルト、具無し汁もの3種でした。
固形物は明日の昼まで米以外は絶望的です。
2007/06/11
手術後3日目
昨晩以前の辛さはまるでお子様ランチに感じた。
8:45に腸のレントゲンを撮りに行った。このレントゲン結果が「絶」食になるかを決める。
流動食を今日は絶対にゲットするために、朝6:30から歩きを開始。
問診時にも昨晩のトイレ詣で、熱も下がったし(一般的に術後は発熱するらしい)、空咳の腹筋直撃以外辛いことなんかないことを強調。
努力の甲斐あってやっと今日の昼から流動食にありつけた。
お楽しみランチはコンソメスープ、マッシュポテト、すりリンゴ、ほうじ茶。完食は出来ず。
水以外口してなかったので、似たような味から放棄。マッシュポテト、すりリンゴに集中。
夜は三部粥だと思ってたら、看護師さんが「安全をみてステップは食事ごとではなく、1日単位であげていくことになりました。」
(;_;)
晩御飯はほうじ茶、コーンスープ、卵豆腐、身無しの杏仁豆腐でした。
2007/06/10
手術後2日目
抜いてから4時間経過。生理痛のような痛みが生じる。
前もって渡された鎮痛剤を服用するもすぐには効かないよぉ。
さらにお医者さんの検診で、「胃腸の動きが弱いです。
今日から流動食開始予定でしたが、少し様子を見ましょう。」
そんなっ!
お腹減った(;_;)
2007/06/09
術後1日目
でも、お医者さんも看護師さんも笑顔で「今日から歩きましょう」。
午後には自力でトイレに行くよう頑張ります。
ということで、ベッドのリクライニングを起てることからスタート。
2007/06/08
手術
腸に癒着してたとのこと。
手術室に入って脊髄に局部麻酔の注射されて、全身麻酔のマスクをした時点迄は覚えている。次に覚えているのは部屋に戻る直前。全てが終わってた。
今は点滴、足にマッサージ器具してる。エコノミック症候群に備えるんだとか。
手術前
おデブの筋腫とは今日でさようならです。
昨日の18時から何も食べていないし、夜からは水も禁止。
今日も明日も摂取するものは点滴だけだ。
断食道場より辛いんだから、少しは細くなって欲しいもんだ。
体はいたって元気だけど、点滴のチューブやスタンドがあるとベッドから動きたくなくなるのは私だけか?
2007/06/07
2007/06/06
奄美のお店
【ゆりむんや】
神奈川から移住した若夫婦が始めたお店。
龍郷湾沿い。
ミサワの奄美営業の久永さんによると「島一番のイタリアン」。
でも、東京のツッパリイタリアンを想像しちゃダメ。
こじんまりした手作りの建物です。
場所はもうじき新居に近いところに移転するとか。
パスタをランチで頂いたが美味。
カヤックコーチの長谷川さんを紹介してもらった。
【鳥重】
名瀬の繁華街近く。
東京で修業してた重野さんが始めたお店。
鶏は笠利産、備長炭でじっくり焼きあがる。
奄美の焼き鳥は本当においしいです。
奄美市名瀬金久8-6
電話:0997-52-7022
【奄美太鼓】
名瀬のはずれにある炉端焼き。
移住を検討しているときに、結構相談に載ってもらった。
島の名物、とびんにゃ(写真)は絶品です。
車の搬送
半年ぐらいすると錆が出始めるそうだ。
だから、離島では中古の車しか売れない。
我が家のAccordワゴンは事故車なので、再販価値はほとんどない。
でも、走行距離は1万5千キロ。
なので、島まで運ぶことにした。
ここまで決めるのは簡単だった。
今まで話を聞いた人は、みんな有明から船に人も車も一緒に来た。
有明から出る船とは、海難事故をよく起こすAラインになる。
我が家は引き渡し、引越、マンション売却と7月に東京~島を3往復もする+旦那に2泊3日の船旅は耐えられない。
ということで、人は飛行機、車は船とした。
さて、どうやって運ぶか?
ネットで調べると、離島まで運ぶ業者はゼロ。
元日産搬送会社の「ゼロ」かヤマト運輸くらいしか、検索に引っかからない。
それも、鹿児島本土まで。
それでも7~8万円かかる。
引越業者からは拒絶に近い反応。
で、やっぱり有明まで車に当座の荷物を入れて運ぶことになった。
貨物扱いでも93,150円也。
週1運航なので、7/6に奄美で到着していればよくても車は6/28に東京を離れるんだそうな。
前日までに予約してくれとのこと。
2007/06/04
想定外のこと
眺めもよくて、風も抜ける気持ちのいい場所です。
夫は奄美での打ち合わせの間はいつもここで昼寝をしている(=彼は間取りや仕様には全く興味なし)。
で、今回現地確認に行ったときに照明も入っていた。
電気屋さん「ペンダントコードが長いんですが、どの位置にしますか?」
これがそのペンダント。
雰囲気もいいんだが。。。
風で揺れる、揺れる!
私「コードは短くするしかないですよね。揺れちゃって、笑えます」
図面とカタログからばっちりと思ったけれど、実際にどうなるかを想定しなかった反省となる一場面でした。
同様の反省点は、キッチン。
オールステンレスの結構凝ったシステムキッチンだが、壁までは考えなかった。
一緒に行った姉「あれ、ここ(キッチン上部壁)って壁紙なの?油は飛ぶし、普通はタイルにするんじゃないの?」
私「壁紙のことまで考えていなかった。。。」
結局、現場監督さんに無理をお願いして、ボード貼り付けにしてもらうことになりました。
素人はいろいろモノがついてからじゃないと、現実感がわかないんだよねぇ。。。
内装確認
2007/06/02
引越準備③病院 結論
もう7年くらい付き合っていて、毎年人間ドックで要観察になっていた。
そこで、山王病院に通院していたが、全く何の改善も見当たらず、
今回の移住についても「そのまんまでいいんじゃないの?」が医者の見解だった。
しかし、ホームドクターになっている内科の先生に、
「お前、島に行くんだろ。どうすんのか、きちんと対応を行く前に決めておけよ。」
と言われたのが引き金になって、近所の国立医療機関に行ったのが事の真相。
MRIの結果は、まるで雌鶏の解剖をした時に見る卵状態。
一瞬見ただけでは筋腫の数はわからないくらい沢山あった。
「6cm以上の筋腫もあるが、もっと悪さをしているのはこの小さいのです。
貧血症状が悪化すると輸血が必要になることもあるから、
離島に行くなら摘出するのがいいんじゃないですか。」 が医者の見解だった。
で、引越日から逆算して、さっさと取ってしまおうということになった。
6/7に入院して、6/8に手術です。
うー、忙しい!