2011/03/26

卒業式

震災後、ずっとブログを書くのが辛くなりました。

同じ思いをしている非被災民は多くいると思います。



今、この瞬間にも辛い思いをしている多くの方々を

考えると、公私ともの救援物資で島のお店から

電池と水が消えた、春休みにしては観光客は激減し、

その一方で、小さいお子さんやお母さんが本土から

やって来ていること以外、淡々と日常を迎えていることに

罪悪すら覚えるからです。


あまりに多くの方が亡くなり、あまりに多くの方が

今だ行方不明であること、言葉になりません。

私でさえ、ある日突然、何の前触れもなく夫が他界した時の

数か月間、現実として夫の死を受け入れることを心が拒絶しました。

そして、震災後、当時が何度もフラッシュバックしてきます。

夫が亡くなって、私以外の世界では当たり前に流れる日常を

見ていた時、「直ちゃんだけがいなくなっちゃった。」

そして、当たり前に流れていく日常が許せない気持ちになったり、

「私だけは忘れないから。」

本当に辛かったし、今でも辛いです。

そして、当時の私とは比べ物にならないくらい大変な境遇に

遭遇していらっしゃる方がたくさんいることを考えると

本当に書けなくなりました。



でも、やはり日常は流れていきます。

再度、日常を描こうと思うきっかけは小学校の卒業式。

島の田舎の小学校は、PTA以外に集落民も出席します。

まるで、我が子や甥っ子、姪っ子のように彼らの成長を

見届けるのが当たり前の集落風景です。

たぶん、東北の田舎でも同じようなことが本来なら

あったに違いないのに、そこには先日まであった日常が

消えてしまったことには本当に心からお見舞い申し上げます。


でも、島の小学校に通う子供たちもみなさんのことを

心から心配し、何か自分たちでできることはないかを

模索しています。

そして、晴れの日を迎える彼らに何の落ち度もあるわけでは

ありません。だから、彼らの門出をきっかけに、やはり

彼らの門出を祝うことは大切であり、それを伝えることも

大切だと思うようになりました。



おとといの卒業式です。

全校生徒25名、そのうちの卒業生は4名。




全校生徒のお兄ちゃん、お姉ちゃんでした。



お兄ちゃん、お姉ちゃんは中学校に進み、

これまでの役割を5年生に託します。

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